伝説の巨人・肥田春充

肥田春充年譜

伝説の巨人・肥田春充は、生来病弱でやせ細り「茅棒」とあだ名されるほどでしたが、独自の鍛錬法を創案し、2年間の修練により筋骨隆々の身体を作り上げました。その後も各種研究に没頭し、正中心の極意を悟得し、各種練修法を完成させていきます。以下に、その肥田春充の経歴を年譜にまとめたものを示します。

※( )内の年齢は数え年

年代 出来事 発行著書
1883(M16)
  12.25
山梨県南都留郡西桂村小沼に川合家五男として生まれる(1歳)
1888(M21) この頃、母及び兄弟4人に死別(6歳)
生来病弱でやせ細り「茅棒」とあだなされる
1894(M27) ◆日清戦争(12歳)
1900(M33) 自らの心身を根本的に改造する志を立て、古今東西の体育法を研究、独自の鍛練法を創案する(18歳)
1902(M35) 2年間の修練により筋骨隆々となり、中学校に入る(20歳)
1904(M37) ◆ 日露戦争(22歳)
1911(M44) 中央大学法科・明治大学政治科及び商科・早稲田大学文学科を同時に卒業明大では在学中柔道部を創設し、初代キャプテンとなる(29歳) ●『実験 簡易強健術』(29歳)
1911(M44)
  12.1
近衛歩兵第四連隊に一年志願兵として入営
1912(M45) ●『腹力体育法』(30歳)
1912(T1) ◎軍隊生活の中で「椅子運動法」を創案(30歳)
1913(T2) ◎「自然療法」の研究に没頭し、“自己療養法”を完成する(31歳)
1914(T3) ◆ 第一次世界大戦(32歳)
国内に川合式強健術の名声が高まる
◎ 強健術練修法の型を「気合応用強健術」と「呼吸応用の簡易練修法」の二つに分ける(32歳)
●『心身強健術』(32歳)
1916(T5) ◎「正中心」の位置を発表(34歳) ●『強い身体を造る法』(34歳)
1917(T6)
  2.11
肥田家の婿養子となり静岡県田方郡対島村八幡野に入る(35歳)
1918(T7) ●『心身強健体格改造法』(36歳)
1920(T9) ●『活力増進 強圧微動術』(38歳)
1923(T12) ◎鉄棒型「上体」「下体」二操練法を発表
1923(T12)
  6.18
正中心の極意を悟得する、ここにおいて各種練修法がほぼ完成する(41歳) ●『独特なる胃腸の強健法』(41歳)
1923(T12) ◆ 関東大震災(41歳)
1924(T13) ● 講演集『此の大獅子吼を聴け』(42歳)
1925(T14) ●『健康の中心を強くする法』(43歳)
●『川合式強健術』(43歳)
1927(S2) ●『実験 根本的健脳法』(45歳)
1928(S3) ◎「中心力抜刀術」を完成(46歳)
1931(S6) ◆ 満州事変(49歳)
1936(S11) ●『聖中心道肥田式強健術 天真療法』(54歳)
1937(S12) ●『講演及随筆』(55歳)
●『国民体育』平田内蔵吉編(55歳)
1938(S13) ◎「天真療法」の具体的方法(五つの安静法)を発表(56歳) ●『国民医術天真法』平田内蔵吉編(56歳)
1939(S14) この頃より大川周明らとともに戦争阻止に努めたが果たせず(57歳)
1941(S16) ◆ 太平洋戦争(59歳)
1944(S19) 裏山から滑り落ち心臓を強打、この後3年ほど麻痺症に苦しめられる(62歳)
1944(S19)
  2.11
東条英機首相宛自決勧告書をしたため自らも自決寸前に至るが、世界人類の救済を願い、思いとどまる(62歳)
1944(S19) 前年より憂国のあまり中止していた正中心練磨を再開(62歳)
1945(S20) ◆ 終戦(63歳)
1946(S21)
  4.10
深夜の真宗教の研究(「宇宙大学」と称す)が始まる(64歳)
◎禅の学的研究を始める(64歳)
1948(S23) ◎「純自然体休養姿勢」の絶妙境を体得(66歳)
1949(S24) ◎「生命式呼吸法」を体得し、「聖十字架型操練法」の創案に結実する(67歳
1952(S27) ●『日本の使命』(70歳)
1955(S30) 「聖中心社」を創設、会長となり、長年研究した宗教哲理原理に基づく真平和運動を展開(73歳) ●『一分間の強健法』肥田通夫編(73歳)
1956(31)
  8.24
人類の前途を憂い、49日間の完全絶食の後生涯を閉じる。
享年満72歳8カ月(74歳)、積んで丈余に達する遺稿を残す
1985(S60) ●『宇宙倫理の書 巻一』
1993(H5) ●『宇宙倫理の書 巻二』

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